【アメリカの大学とニューヨークで危ない目に】
■アメリカ・カナダの旅#2
<フロリダで出会った学生>
フロリダでは緑豊かで大学のある町でバスを降りました。
大学のキャンバスを覗くとビリヤードをやっている学生がいたりして、
日本とは違うなあと思いながら。
たまたま話しかけた学生といきが合いました。
当時はこの当たりに日本人が来るのが珍しかったのかも。
彼は大学を出たら、革製品の店で働くと言っていて、色々な生き方があるなあと思いました。
今晩は家で夕食をとらないか?と誘ってくれたので、おじゃますることに。
食事のあと、友人宅でパーティしようということになりました。
珍しい日本人がいるということで。
友人宅に行くと5~6人が集まりマリファナパーティに。
私は23時頃のバスに乗る予定で、みんなでバス停に見送りにきてくれました。
しかし、ここで問題が!
バスディーポのコインロッカーにバックパックを入れていたのに、バスディーポが閉まっている。
バスが来ても荷物がとれない。
しかし、みんな盛り上がりパーティーの続きだと。
結局、友人宅に泊まり、翌日近くを案内してもらいました。
<ニューヨークで危ない目に>
初めてのニューヨーク。
エンパイヤ・ステート・ビル、世界貿易センタービル、タイムズスクエア、
セントラルパーク、自由の女神とこれが世界の中心地ニューヨークと感動しました。
その夜のバスで移動するため、ステーションでトイレに入り洗面していました。
隣に190センチはある黒人が来て鏡を見て自分に話しかけていました。
初めはお前は素晴らしいと自分をほめたたえ、微笑んでいました。
しかし徐々にお前は醜いとかマイナーなことを言いだし、自分に怒り出しました。
その後視線が私の方に向き、どこから来た?と言われ、JAPANというと、
日本人は黒人を見下しているとか色々言い出し、ファイティングポーズをとり、危険な状況になりました。
その時、子供ずれのアメリカ人がいて、男の子が『やめて!』と叫びました。
彼が怯んだ隙に私は荷物を持ってトイレを飛び出しました。
次のバスの列に並んでいると、先ほどの黒人が近付いて来ます。
やばいと思っていると、なんと鼻歌を歌って横を通り過ぎて行きました。
やはりアメリカには色々な人がいるんだなと実感しました。
【古き良きアメリカをご紹介】
私は大学3年修了後1年間休学し渡米しました。
これからの生き方を自分で考えたくて。
1976年はアメリカ建国200年祭で大いに盛り上がっていました。
誰にもアメリカンドリームを手にするチャンスがあり、世界中から憧れをもたれ
私があったアメリカ人はみなアメリカ人であることを誇りに思っていました。
しかし、トランプ大統領になって4年、アメリカの魅力は大いに削がれ、
世界中から信頼を無くして、海外でアメリカ人と言いたくない人も多くいるようです。
バイデン大統領になり、以前のような世界中から憧れられるアメリカに少しでも
なってほしいと思っています。
私が感じた「古き良きアメリカ」をブログで紹介したいと思います。
アメリカでは2ヵ月アメリカ、カナダを旅し、お金がなくなったのでLA近郊のパサディナで半年働き、その後、2ヵ月は旅で知り合ったアメリカ人の所(ミルウォーキー)にホームステイし、最後の2ヵ月はオレゴン州ユージンのカレッジのウィンタータームに入学しました。
この1年の経験は大きく、その後の生き方に大きく影響しています。
■アメリカ・カナダの旅#1
<英語が話せずフライトに>
普通は渡米する前に英会話を勉強するのでしょうが、英語は手段と思い、話せないまま、一番安いCHINA AIRLINEで1年間の往復切符を買いました。
当時一年アメリカに遊学するというのが珍しかったからか、空港に30人近く友人や後輩が見送りに来てくれました。
いざ飛行機に乗ると日本人はちらほら。
たまたま私の所まで食事がきて、隣のアメリカ人のご婦人が何か話し掛けてきます。
私が全く理解できないのを見かねて反対にいた日本人の女性が、
『貴方が食べているのが美味しいか?聞いているよ』と教えてくれました。
彼女は何度もアメリカに渡り英語は流暢で、私の英語力を見抜いています。
私が一年間アメリカに行くと伝えると、『偉い』と言います。
何故か聞くと、『貴方の英語力で今こうして飛行機に乗っているのが偉い』と。
ロスのイミグレーションでは彼女の後に着いていき、同じような対応をすることで、
4ヶ月の観光ビザをもらいました。
1976年は独立200年祭に沸いていました。
アメリカでは最初の2カ月はグレイハウンドバスを使い、アメリカ・カナダを旅しました。
最初の目的地はグランドキャニオンです。
目的地に向け夜バスに乗ります。朝方付いたら一日観光し、また夜のバスにより、次の目的地に向かい、二日バスで移動し、三日目はユースホステルや安いホテルに泊まります。
バスでは英会話の練習と思い、アメリカ人の隣に座り話かけます。
その時は2つの英語を覚えて使いました。
最初に『Where are you from?』というと、アメリカ人は話し好きなので色々話してくれます。
暫くして話しが一段落すると次に『Where are you going?』というと、また、色々話してくれます。
その後は沈黙となります。
毎日このようにするとことで、少しずつ耳がなれてきました。
<キーウエストでのホスピタリティ>
たまたま、ニューオリンズの近くでフィリピン系アメリカ人の隣に座り、
どこに行くと聞くのでキーウエストと答えると、「おれはキーウエストに住んでいる。
着いたら連絡しろ」と電話番号をくれました。
数日後キーウエストに着いたので一応電話してみようと図書館で電話したのですが、
お金を入れて電話しようとするとオペレーターが出るので、間違えたと思い、
いったん電話を切ります。
思い直し電話しようとするとまたオペレーターが出るので電話を切ります。
何度かやっているうちに近くにいたアメリカ人が見かねて電話してくれました。
電話の先はバスで会ったフィリピン系アメリカ人ではなく、その妹さんでした。
彼女は「兄は明日帰ってくるので、今夜は家に泊まっていきなさい」と言って、
迎えに来てくれました。
そうして、たまたまバスで隣に座った人の妹さん家に泊まり、
いろいろアメリカの生活などを教えてもらいました。
翌日お兄さんが帰ってきて彼の家にいくとトレーラーハウスに住んでいました。
彼は30歳位で今度結婚するといっていましたが、家には40歳位の母親と20歳位の娘が
一緒に住んでいました。
私はどっちと結婚するのだろうと思っていると、母親と結婚するとのことでした。
このような感じで2カ月の旅で週に一度位は全く知らない人の家に泊めてもらっていました。